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鍼灸セミナー(講習会)
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随感集(鍼灸の黎明)

1.鍼灸学生の皆さんへ!


 鍼灸学校設立の規制緩和を端緒に、鍼灸学校数の激増から近年、鍼灸師国家試験合格者が毎年6,000人前後、社会に送り出されていると言われ、鍼灸学校在学生はこのような状況の中に立たされています。従来の学校数のときでさえ接骨院との併設でないと経営が難しいとされてきました。今後の鍼灸単独開業の厳しさは容易に想像がつくはずです。
 これまで、学校の授業では卒後の臨床技術が身につかないという不満を多くの鍼灸学生が抱いてきました。不満を持ちながらも、多くの学生が目先の学内試験、国家試験をクリヤーすることだけを目標とした全体の雰囲気に流されて来た傾向があります。ここに卒後の開業鍼灸師がきわめて少なくなっている理由があると思います。

卒後、盛業鍼灸師として開業できた人は、それとは違い在学中に臨床技術修得の目標を的確に立てていたはずです。卒後の目標が出来ていることで、鍼灸学校在学中の授業は卒後の臨床に通じるきわめて充実したものなるはずです。
 鍼灸学校在学期間がただ単に資格取得のためか、あるいは卒後の臨床に向けての貴重な基礎作りとなるかは心構え一つで決まりますが、従来から多くの卒業生が臨床の出来ない資格だけの鍼灸師で終わっている現実をしっかり見据えるべきではないでしょうか?

卒後の進路は様々ですが、最近は病院医療に進む鍼灸師が増加しています。これは鍼灸界のエビデンス重視の方向性と関係するのでしょうか。わたしは、このような鍼灸界の傾向が必ずしも治療効果面での鍼灸のレベルアップにつながっているとは考えていません。それは治療効果の目標が病院医療の水準でよいことになります。治療効果面で、それ以上の効果を求めている国民の期待とは、ずれがあるように思いです。病院医療における治癒不能な多くの疾患が存在しているのですから、病院医療の中に収まる水準の鍼灸に対して、受ける国民サイドからは、魅力ある医療とは映らないでしょう。
 真に国民の要望にこたえ、高度の鍼灸効果を実現する可能性を有しているのは、これら病院医療に進む鍼灸師ではなく、病院医療の一端としての制約を全く受けないところの、年々減少傾向にある開業鍼灸師だと思います。鍼灸の本来の特質である、より高度の治療効果を目指す開業鍼灸師が少しでも増えることを、わたしは鍼灸学校在学生に期待しています。

今、国民が求めている医療は?
 病院医療において多くの慢性疾患が治癒不能となっている今日、それを改善できる可能性を秘めている医療は鍼灸をおいて他に見出せないと考えています。鍼灸といっても、それは飛躍的効果が望めない一定レベルの鍼灸ではなく、その病院医療を凌駕するところの鍼灸でなくてはなりません。それは当然、開業した場合、近隣にある各種医院が経営面で脅威を抱くだけの成績を上げる鍼灸院でなくてはなりません。
 なぜなら、鍼灸はあらゆる科の治療ができるからです。そしてすべて原因治療が可能で、症状をぼかす対症療法を必要としていないからです。各専門の領域での多くの疾患に、医院を凌ぐ効果を上げられるはずだからです。現状の無資格の整体院との競合に目くじらを立てる水準の鍼灸ではありません。当然それは、従来の鍼灸理論の枠を大きく外れたところの鍼灸です。
 同じ鍼灸理論という制約を受けている以上、臨床における画期的治療効果が期待できないことは、鍼灸の歴史、あるいは日本鍼灸、中医鍼灸を比較して見ても理解できることだと思います。治療技術の飛躍的効果を期待できる可能性は、少なくても、従来の理論的制約を全く離れたところの鍼灸理論、全く未知の領域の診断ができる鍼灸理論であると考えます。従来の鍼灸を凌駕した高度鍼灸技術の開発によって、今日の医療社会の問題を画期的に改善することが可能になるでしょう。その志を持った鍼灸師がより多く医療界に進出してほしいと思います。

新鍼灸法の開発
 我々は、新鍼灸法を長年月かけて開発してきました。開発当初から病院医療に無批判に追従することを排除して、臨床体験での自己の感覚と患者の体を通した診断と治療による効果の実証に基づいた治療理論をシステム化してきました。その結果、病院医療での多くのあいまいな点、非科学的医療をも数多く見出してきました。また、それらが病院医療での難治疾患、難病を改善できず、日常的な慢性疾患においても効果を上げられない理由にもなっていることも分かってきました。従来の鍼灸ではこれらの病院医療の診断をそのまま正しいものと踏襲し、多く問題点を見落としてきています。
 今後、難治疾患が溢れる社会を解決する医療は、多くの不完全部分を露呈している病院医療とその代替医療に安住している鍼灸ではありません。それらに代わる効果面での正統医療としての鍼灸だと思います。
 そのような鍼灸とはどのようなものでしょうか? その鍼灸法を目指し開発してきた鍼灸法があります。後で少し触れる、半身症候鍼灸法です。この新鍼灸法では、数々の疾患に画期的効果を上げています。

新鍼灸法での臨床
 我々が開発してきた新鍼灸法では、従来の鍼灸法理論の枠から大きく離れた未知の領域の診断から、多くの臨床上重大な問題を数々発見し、その診断法を基軸とした鍼灸理論を構築してきました。それは従来の病院医療、鍼灸学が全く知られていない生体現象で、多くの疾患に共通する臨床上きわめて重大な問題です。
 代表的なものには、X線、MRI等の画像診断で検出不能な微細骨折や感染症があります。この2種の問題は多くの疾患に共通しており、多くの病態に深くかかわっています。感染症については病院医療でもその多くが、血液検査でも検出難しいもので、これらを診断できることにより未知の疾患の病態、原因を的確に理解することができて、多くの疾患を改善することが可能になります。
 病院医療においても、従来の鍼灸臨床においても、これらの分野の存在を欠くことで表層的、一面的診断に成らざるを得ないのです。
 これらの現象の見落としから、従来の鍼灸法による診断、治療効果の不鮮明さが生まれています。多疾患が原因不明とされ、画期的治療効果も期待できません。そして予後の判断もきわめて難しいことになります。

鍼灸の需要
 鍼灸界では従来から、鍼灸治療の需要が少ないとみなしているようですが、それは全く誤りです。鍼灸院に患者が少ないからと言って、一方的に需要がないとは決め付けられません。病院医療での限界の疾患や障害で悩む国民が満ち溢れていることを鍼灸師、鍼灸界は気づいていないのかもしれませんが、一般国民にとっては皆、周知の事実でしょう。
 つまり、鍼灸の需要がないのではなく、治る鍼灸ならいくらでも需要があるが、現在の鍼灸レベルでは需要がないということなのでしょう。そして鍼灸の効果がまだ国民に知られていないとの鍼灸界の声にも首をかしげます。鍼灸学生入学者数の激増から、鍼灸そのものは国民に知悉されていることが分かります。患者が少ないという鍼灸界の悩みは、その効果を国民が信頼していないということだと見ています。
 現実には多くの難治疾患、難病者が満ち溢れているのです。もっと高い治療効果を上げられる鍼灸ならば、このような需要がないということはあり得ません。そのような高度の鍼灸臨床によれば、学生の皆さんがこれから取得する鍼灸資格によって、多くの国民が悩む難治疾患を治し、救うことができるでしょう。医師資格による病院医療でも治せない難病の治癒を目指すことが、鍼灸資格をじゅうぶん活用することで可能となるのです。これから取得する鍼灸資格をこのような難病治療家として生かしてみませんか!

高度な鍼灸臨床を目標に
 より高度な鍼灸臨床を目指すには、その第一歩は、鍼灸臨床の現実を知ることです。従来、日本鍼灸は常時、病院医療と対比した場にあったと思います。病院医療での不充分な分野での補完的地位に存在価値を見つけ、その範囲で鍼灸効果を証明してきたのではないでしょうか。
 だとすれば、主体部分である病院医療内に効果上の問題点が内包されていた場合には、鍼灸の発想自体もその問題点に関知しないまま踏襲する危険性があります。つまり補完であれば、その共有する主体部分に共通の誤謬を犯すことになります。事実、現在の鍼灸界には病院医療での行為を無批判に鵜呑みしている面が多々見られます。当然そのことで鍼灸医療においても誤りを共有したまま不正確な治療を進めることになってしまいます。真に鍼灸が進歩するためには、病院医療での問題点をも的確に検証して一点の曇りもない診断と治療が欠かせませません。鍼灸の歴史を見ても、取穴に徹底してこだわってきたくらいですから、診断においてもその厳密さが要求されて然るべきではないでしょうか?
           
鍼灸の宣伝不足という声に
 社会に膨大な難治疾患患者が満ち溢れ、そして永年の鍼灸普及の歴史がありながら、業界には鍼灸がまだ国民に知られていない。もっと宣伝の必要がある式の言動も見られますが、すでに前項で触れたように国民はすでに鍼灸にあまり期待できないと判断しているのです。患者が来ないという前に鍼灸師に求められているのは、ただ確実な治療効果を上げること以外にはないということなのでしょう。
 鍼灸院がいかに少ない患者数でも、0でない以上効果が上がっていれば患者は増えるのが道理です。一人の患者から、兄弟家族、親類、友人、知人と留まることはありません。わたしごとですが、26年前に鍼灸学校時代の同級生からの紹介で、彼の姉の友人という人が来院しました。次にはその患者の書道の先生で高校教師の方が来院し、それからはその同僚から始まり、現在までそのルートで来院した患者は多地域に拡大し、少なくても1,000人以上に上っています。現在もねずみ算式に増え続けています。
 鍼灸界が開業鍼灸院の経営難の原因を宣伝不足に転化するのは正しいとは思えません。

鍼灸の効果
 鍼灸には、客観的な見方として効果があいまいということがあります。この点から病院医療における鍼灸は低い評価しかされていないのでしょう。古典鍼灸理論、あるいは現代医学的鍼灸理論どれを採っても理論上に限っては、完璧かもしれませんが、果たして効果の実証が伴っているのでしょうか?日常遭遇する多くの疾患に確実な効果を上げているのでしょうか?
 指導者の中からは鍼灸は悠久の歴史を有している。西洋医学と違い、伝統として残っていること自体が科学的根拠であるという理解し難い声も耳にします。
 臨床上、痛み一つとってもきわめて複雑です。四肢関節系の痛みにしても、現在多くの痛みのケースでX線、MRIの画像から骨格の異常がない、骨は正常という整形外科の診断がされています。この点、鍼灸では診断ができるのでしょうか?骨は正常という見方の元に、診断ができないが治療をする方式の対症療法にならざるを得ません。急性の上腹部痛なども救急医療で鎮痛剤を打つくらいで、一両日後、痛みの消失と共に原因不明のまま退院させられる疾患が多発しています。各鍼灸理論で複雑多岐にわたる人体各部位、部分の痛みについても説明できるでしょうか?なぜ痛むのか、なぜそこが痛み、なぜ一部位だけに障害が生じたのか?腰、下肢の痛み側と上肢の痛み側が逆のケース、手指の痛みが一指だけなぜ反体側に生じているのか…等々、その障害の程度についても明確に説明ができるでしょうか?直ぐ治る痛み、なかなか治らない痛み、その理由を説明できるのでしょうか?更には、終末期の悪性腫瘍での疼痛緩和、あるいは一縷の治癒の望みをかけて来院する患者に対して、いずれも治療の要点は腫瘍の変化を知ることであるはずです。
 痛み一つ取り上げても、現代医学理論、あるいは古典理論で説明ができるほど生体機能は単純ではありません。人体は小宇宙と称しても、具体的人体細部の説明ではあまりも粗雑です。脈診では、最も関連がある心臓の詳細な診断ができない。患者の立位、座位、仰臥位それぞれの体位で脈状が変化します。また診断する術者の立位、座位によっても患者の脈状に変化が生じてきます。あるいは脈をとる各術者によっても、患者の脈状が変化してしまいます。
 よく聞かれることで、
 「なぜか理由が分からないけれど、このツボで治るのですよ」
 という鍼灸指導者の、自らのあいまいな臨床を恥じることなく、逆に誇らしげに語る例も散見します。診断に基づかない刺針を普通に行い、それは人体全体が見えていない対症療法であることにも気づかないようです。
 悪性腫瘍なども疼痛緩和医療一辺倒、あるいは進行を遅らせればそれを良とする傾向を否定しませんが、鍼灸では悪性腫瘍を治してはいけないかのような圧力をかける空気さえ一部に感じられます。一部の病院勤務鍼灸師の医師におもねる影響かもしれません。
 理論に基づいた刺鍼をしても、事前に効果の予測が立てられない。刺鍼後もし効果が見られなければほかの方法を行う。遠道刺、巨刺にしても、効果が上がる場合と効果が上げられなかった場合の理由を説明できない。その症状部位と刺鍼部位とはどのような関係があるのか?症状が消えればそれでよい。残存するときは治療が不完全として他の処置をすることが多いなどあいまい性が見られます。つまり、刺針の解剖学的作用が説明できないのです。
 正確な治療がなされても症状が消えないとき、誤治療でも症状が消えることがあることを知らない等、種々な面で不確実な要素を抱えています。
 鍼灸臨床はわずかでも診断に甘さがあれば効果が上がりません。いくらまぐれで著効があったとしても、それは的確な診断での効果を知らないからです。常に治療効果の向上が計れる鍼灸理論が存在していなければ、以上のような多くの矛盾を内包し、それが隠されたままの鍼灸臨床となってしまいます。
 正しい治療はすべてにおいて正確な診断から始まります。診断がすべてで、その原因探求に一点の曇りも許されません。より正確な診断、即より高度の治療効果となります。偶然の効果など求めてはなりません。これは鍼灸臨床とて例外ではないと考えています。

鍼灸における感覚の訓練
 鍼灸は元来、目に見えない、医学上も全くその存在すら証明できない気血の循環を基本とする、まさしく気の医学です。当然のことに脈診、触診での手指の鋭敏な感覚を重視するようですが、不思議なことにその具体的訓練法が皆無に近いのではないでしょうか?アメリカのカイロプラクティック大学では、様々な訓練法を指導されているようです。書籍の中に髪を一本挟み何ページまで、その中の髪を知覚できるか?あるいは学生は一個の椎骨模型を常時携帯して、ポケットの中に手を入れて手探りでその形をイメージする訓練などです。
 次に挙げる我々が開発した鍼灸法では、触診での身体感覚、あらゆる診断における体勢作りを最重視しています。その指導から瞬時に未知の感覚を知ることができるのです。

半身症候鍼灸法
 現代医学の主流である病院医療と従来の鍼灸治療において見落としている、広範囲にわたる臨床上重要な生体現象があります。従来の医療においては一定の層までの問題しか診断対照になっていなかったのです。
 例えば、病院医療では筋骨格系の障害に対して画像診断レベルを超えた微細な骨格の損傷は一切診断の対象外とされ、古典鍼灸理論では主に骨格系を中心とした生体の構造力学的、あるいは構築学的見方がありませんでした。胸部、上腹部臓器の機能に直接関与している肋骨、脊椎についての記述がありません。泌尿器、小腸、大腸、生殖器機能に直接関与する骨盤の変位の診断もありません。
 我々が考案した新鍼灸法は、国民から真に要望される難治疾患、難病治療に厳密に対応できる治療法として開発しました。この新鍼灸法とは半身症候鍼灸法といい、我々はこの鍼灸法を平成5年に考案した後、5~6年前より公開し指導しています。
 精神疾患をはじめ、多くの脳神経系の疾患を構築学的変位の面からとらえ、骨盤の微細な変位の操作からの脳の調整で改善できることを知りました。あるいは腰痛をはじめ筋骨格系の障害を脳の一部の変位の調整で改善できることや、大部分の、子宮・卵巣疾患を下垂体の歪み、膨張、収縮異常の調整で瞬時に調整できること。あるいはうつ症状の多くを脳の歪みや下垂状態を操作することで、瞬時に気分と表情が明るく変化することなど、多くの重要な生体現象を発見しています。
 あるいは、身近の多くの原因不明とされる疾患がありますが、その原因を知ることでこれらにも確実な効果を上げています。このような治療上重要な未知の領域の診断、治療を展開する鍼灸法です。

 この半身症候鍼灸法では、上記の重要な原因となる障害を、1~2穴の刺針ですべて確実に調整します。経絡治療での標治法のような選穴を追加することは決してありません。その刺針ポイントは、天柱と脳戸、それぞれの付近です。そこが全身に及ぶあらゆる疾患を改善する反応点となります。0番の細鍼により約1ミリ浅刺しますが、置鍼時間は30秒ほどです。その時間内に全身の生体機能が活発になり、血液循環、筋肉系の弾力が改善され、脳、内臓の血行がよくなり弾力も生じます。そして全身の障害部位が変化しだします。
 半身症候鍼灸法セミナーは、基礎シリーズとして6ヶ月コースを開催していますが、セミナー参加者は、いずれもこの未知の鍼灸法を、鍼灸学習上初めての感動を持ったと言い、生き生きとした表情で学んでいます。このセミナーでは臨床経験の長さ、鍼灸学生の差は全くありません。物言うのは、人体という生体を操作する、謙虚な姿勢だけです。毎期、刺鍼経験の皆無な鍼灸学生のなかにも、目覚しい修得ぶりを見せている参加者がいます。わたしは、これらのセミナー参加者が、近未来の日本鍼灸を確実に改革していくことを確信しています。

2.半身症候鍼灸法での臨床状況

1.近隣の医療機関との関係
 当方の治療院の場合では、23年前に待合室の手狭により私鉄駅付近の治療院から、バス停で5つ目の住宅地の中にある医療機関集中地域に移転しました。元歯科医院跡で、周辺は半径150メートル以内に、眼科医院、整形外科医院、耳鼻科医院、歯科医院、産婦人科医院各1軒、内科医院2軒、薬局1軒という医療集中地帯でした。
 医院に囲まれた真ん中で保険一切なしでしたが、周囲の各医院の専門分野においても、卓効を上げ全く周囲を問題にしていませんでした。当初は以前からの患者に対し、近所の患者も多く、その過密医療地域が患者数増加には逆に功を奏したようです。以後脅威に感じてきたのは周囲の医院のようでした。やがて1軒の内科医院が廃業し、1軒の眼科医院が移転しました。当時から白内障が治るといううわさが立っていましたが、それ以前から眼科疾患患者や耳鼻科患者が比較的多かったのです。

2.半身症候鍼灸法の一部を紹介
①診断理論、治療理論は終始一貫し、最初の診断に誤りがなければ、効果次第で診断を変えることがないし、脳戸、天柱の1~2穴の浅刺以外には全く処置、治療法を変更することがない。なぜなら刺鍼前に効果を確認することができるからである。それは、正常・異常の精密な診断ができない治療法では不可能なことである。
②診断では、症状を確実に診断することができる。そしてその症状の原因を知ることができる。あるいはその原因のさらに上の原因というように原因の順位の診断ができる。そして最高位の原因まで診断できるのである。
③一般的鍼灸での効果以上の変化を診断の段階での検査操作で確認することができる。
④刺鍼後の置鍼は30秒で終了するが、その最初の10秒ほどで患者の生体が変化する状況を知ることができる。このような一般鍼灸師が知らない変化をほとんどの患者が知覚できる。「体全体がすっと変化したのがわかる。驚いた」などと言う。
⑤脳・脊髄を基本に診断を進めていくので、ほとんどの疾患の治療ができるばかりでなく、病院医療で判明できない原因を知ることができる。
⑥高度の効果を上げるうえで必須の、診断上の2大ポイントである感染症、微細骨折の診断法、そして悪性腫瘍の診断法を有している。これにより、あらゆる障害、症状、病因を知ることができる。
⑦この半身症候鍼灸法では、病院医療では限界の多くの難病、難治疾患に効果を上げることができるので、深刻な表情で来院した患者に対しても、穏やかな言動で患者に対応することができる。
⑧この鍼灸法では、わたし一人での患者数が、1日110人(そのときの初診患者11人)を越すこともある。このときのがん患者は10人ほどである。
⑨セミナーでは、従来のすべての鍼灸あるいは病院医療では未知のきわめて多くの生体理論を披露している。理解できる感覚能力の向上に応じて多くの従来の鍼灸法の誤り、病院医療の誤りと多くの未知の治療理論を指導している。

3.半身症候鍼灸法の紹介
①半身症候鍼灸法シリーズ(毎月1回、6ヶ月コース)の毎期の開催前に、無料公開セミナー(無料説明会)を設け、臨床の実際を広く公開しています。数々の未知の臨床理論を公開します。
②茂木昭著『生命(いのちの)ささやき』知道出版 定価2,100円
半身症候鍼灸法をわかりやすく解説した画期的鍼灸書です。鍼灸治療に対する多くの疑問が氷解することでしょう。
③DVD・臨床現場シリーズ『半身症候鍼灸法』たにぐち書店(1巻~3巻、各巻18症例から16症例披露 定価10,500円

以上の書籍、DVD、半身症候鍼灸法基礎シリーズについては、ホームページの各ページをご覧ください。 

3.日本鍼灸は今、分水嶺に立つ

 日本鍼灸は戦前、独自の古典理論的鍼灸法を確立し、更に科学派の、鍼灸の医学的研究の成果、発展に目覚しいものがあることは周知の通りである。また平成と変わる今日まで新しい中医学の台頭も見られ、確かに日本鍼灸が発展している一面は否めない。
 そして、正統医学としての中国での中医学に対して、日本鍼灸も医学的研究の環境が整えられ、病院医療のなかにも浸透しつつある状況が見られる。鍼灸師養成施設も3年制の専門学校から4年制大学昇格の動きが見られると共に、鍼灸大学院までできている。
 このように養成施設の変化や病院施設での鍼灸が現代医学的、病院医療方向に発展する現代日本鍼灸に対して、ただ諸手を上げて賞賛するだけで、問題点は皆無なのだろうか。ここですこし振り返ってみたい。
 
 鍼灸師の技量のばらつきが減少し、平均化していくことで国民が安心して鍼灸にかかれる長所がある反面、高度の臨床技術を求める多くの難治疾患患者の期待には果たして応えられているのだろうか?
 一般開業鍼灸院より保険面で有利であることから、安価で鍼灸にかかれるが、反面、病院の補助的医療の面が強く、鍼灸の主体的医療の性格が希薄になるおそれがある。病院での鍼灸医療では施設全体からの制約が少なからず存在していることが考えられる。そして、わたしは現状の病院医療に組み込まれた医学的鍼灸医療の平均が、決して市井の開業鍼灸師のレベルより治療効果を上げているとは思えないのである。

病院医療に組み込まれた方式の鍼灸では、当然、代替・補完医療としての鍼灸に封じられる可能性がある。鍼灸の医学的発展の現実は、このように多くの慢性疾患に無力さを露呈している病院医療のレベルを超えることも難しいだろう。本来鍼灸医療は自由で制約のない発想から未知の可能性が開かれる治療医学だと思うのである。
 真の鍼灸は、行き詰まりを見せている病院医療での限界となる疾患に挑戦する、国民からの期待に最もこたえられる新しい医療になりうるのである。
 しかし既存の鍼灸はそれとは大分落差があるといわざるを得ない。鍼灸の効果について臨床鍼灸師の大多数が限界を感じているという声を聞く。鍼灸学校教員の考え方にもそれが見られ、当然、それが鍼灸学生の意識低下に反映されているのではなかろうか?鍼灸学生の鍼灸臨床に対する無気力さは気になるところである。患者も同様に鍼灸に多くを期待していない現実がある。鍼灸が発展していると言われているなかで、この根幹に抱える鍼灸の限界観があるという矛盾が、鍼灸の将来に暗い影を落とすように思えてならない。

果たして、鍼灸はこれが限界なのだろうか? 代替・補完医療で、がんに対しても治癒させてはいけないのか?疼痛緩和のレベルに甘んじていなくてはならないのだろうか? 
 従来の鍼灸には、すべて先入観があった。鍼灸はこうあらねばならない!鍼灸はこういう医学である。理論、法則は大切だが、それで充分な効果が上がっていればそれでよいが、しかし鍼灸指導者までが鍼灸の限界を口にする状況は正しいとは思えない。
 一度、鍼灸での既存理論に依存せずに自らの感覚で鍼灸臨床に挑戦してみてはいかがだろうか?既存の理論、先人の教えより、もっともっと患者の生体という偉大な教えが我々の面前にある。先人、古人に診断してもらう鍼灸から、自らの感覚で推理する臨床鍼灸を試みることで、鍼灸効果の偉大さに驚かされるだろう。あらゆる疾患に効果を上げる、真に治す鍼灸家を目指してほしいと思うのである。

4.鍼灸治療における異常・正常の判定

昨今、鍼灸師は鍼灸治療の限界を口にし、そして臨床では不適応疾患適用の増加傾向が見られる。資格取得後の鍼灸臨床に対する不安と、経験の有無を問わず鍼灸師全体にわたり、臨床に自信のある表情が見られないのは思い過ごしなのか?わたしにはそのように見えてしますのである。
それがもし思い過ごし、偏見でないのなら、それはなぜなのか?
 わたしは鍼灸理論に関係があるように思うのである。科学派の現代医学に準ずる鍼灸理論はさて置き、古典理論的鍼灸理論を見てみる。もっとも科学派といっても、全く古典理論を採用しない鍼灸師は少ないだろう。例えば、古典から定められた経穴を使用しない鍼灸師はまずいないだろう。
 では古典理論のどこが関係あるのか?
 古典理論により人体を診断する、生体を診断するということでは、生体がわからなくなるはずである。まず抽象的な表現で複雑な理論体系を理解することを強いられ、その後、症状、状態の生体現象をその理論体系に分類していかなければならないからである。最初は東洋哲学的高尚な理論に酔うことができても、その治療効果とどのように結びつけるのか途方にくれるのではなかろうか?これらからやがて鍼灸治療の限界を感じて行くのかもしれない。

 では、これらの診断に何が欠けているのだろう?
 それは、まず臨床時に対面する患者の体についてどこが異常で、どこが正常なのか?自分で理解できないところではないだろうか?古典理論では教えてくれないのである。例えば、異常部位には痛みがあるという説明もあるが、臨床上痛みが必ずしも異常サインとはならないことがある。知覚鈍磨している異常部位がある場合で、障害が長期にわたっている、障害の程度が重度であるときなどがある。このようなときには往々にして痛みが、回復機能の向上により出現してくることがある。
 蔵象学上の蔵器の証を診断しても、我々の診断対象となる解剖学上の臓器が存在し、炎症反応を呈しているのである。解剖学的知識が希薄だった古代においては良かったけれど現在人にはそれだけではかえって混乱する。その異常の診断法を教えてくれないからである。患者は胃の苦痛を訴えているのに、その炎症部位、噴門、体部、底部、小湾部、幽門部、あるいは白内障のとき、眼球の水晶体、網膜、膝状体等各部位の診断ができない。心臓疾患のとき、各弁の診断ができない。不整脈、動悸に対し心臓の拡張障害、収縮障害の診断ができない。肺機能との関連も診断できない。各症状についても問診でこと細かく聞き出さないと診断できない。
 選穴にしても、刺鍼前に効果の予測できない等々、証に分類診断しても、患者の苦痛の状態を正確に生のまま知ることができない。以上のことから、現在の鍼灸界が鍼灸不適応疾患を増加さしている現状が納得できるのである。

『正しい異常・正常の診断法とは?』
1.筋肉反射テストがある
①筋肉反射テストは非常に厳しい、正確な技量を必要とするが、誰でも正しく訓練すれば修得できる方法として、わたしが考案したTRテストがある。この方法は手の母指・示指背側骨間筋の弛緩反射(経穴の合谷あたり)を診るのである。患者に一度説明指導すると自分で異常部位を正確に診断してくるくらいシンプルである。更にその原因まで診断できるので、原因部位に刺鍼すれば確実に症状を改善することができる。刺鍼前に効果の予測ができる。
②各種感染症のウイルス、細菌を同定することができる。潰瘍、腫瘍もすべてこのTRテストで診断することができる。工夫次第で大部分の生体部位の状態を診断することができる。
 C型肝炎、がんの臨床でも、その存在と、その変化が診断できなくて治すことができるのだろうか?
このTRテストにより、鍼灸臨床における対面する患者の体を衣服上からその体表のすべて、心臓、肝臓、腎臓、子宮、卵巣、そして肺に至っては左右の上葉、中葉、下葉の診断が容易にできる。更に左右の大脳、小脳、前頭葉、頭頂葉、後頭葉なども容易に診断できるのである。

2.触診
 切経では、体表全体にわたる異常・正常がわからない。
 解剖学的内臓を正確に診断する必要がある。運動器疾患では、まず四肢の骨格の状態を精細に診断しなくてはならない。筋肉、靭帯の障害の元に微細骨折がある。四肢関節障害で微細骨折が関与していないものはないのである。X線、MRIで異常が見えなければ異常なしとするレベルの病院医療を鍼灸師も踏襲していては、鍼灸の本領を発揮できないのである。正しい精細な診断がなければ、鍼灸治療が生かされない。
 正しい触診の仕方は、書物では修得できない。本物の治療家から指導を受けなくてはならないだろう。治療する手の感覚をどこまでも養成する気持ちを持って向上していかなければならない。鍼灸師の多くが他の手技治療家に比較して、荒く粗雑な触診をしていることを指摘したい。

3.脊髄診断
 脊髄には脊髄神経と一部の自律神経が分布している。脊髄の診断ができなければ、ほとんどの鍼灸師が臨床に自信が持てないのは無理からぬことである。脊髄の診断は筋肉反射テストであるTRテストで容易にできる。正確で高度な鍼灸臨床において、脊髄を診断する鍼灸に関心を持つことは欠かせないのである。

5.鍼灸学生は将来の日本鍼灸を救えるか?

鍼灸学生は将来の日本鍼灸を救えるか?
 鍼灸学校設立の規制緩和にともなう鍼灸学生と鍼灸師の激増時代、鍼灸学生と鍼灸師の意識と治療技術にはどのような変化を期待できるだろう。
 従来、鍼灸学校側、鍼灸臨床家側から、鍼灸界の明日を担うべき鍼灸学生に対する批判が言われてきた。また学生側からも学校教育及び教員のレベルの問題を指摘されてきている。
 毎年4月膨大な人数の鍼灸師が学校から巣立ち、一部が教員として残る。特に教員として残る学業優秀な鍼灸師はかつて教員側を批判していた学生側であったはずであるが、しかし、学生の教員、学校に対する要望に一向に応えられていないようである。あるいは教員になるのは学生時代に教員、学校に疑問を全く感じなかった、事無かれ主義の学生だったのではないかと勘ぐってしまう。一鍼灸臨床家から見ると確かにその傾向を持つ教員像を感じてしまうのは誤まりなのだろうか?
 反対に学生批判を考えてみると、教員ならずともうんざりするほど鍼灸学生の意識の低さを感じずることがある。卒後、資格をとっても臨床をやれない、他の業種を選択する鍼灸師が大部分である現状を見るだけで鍼灸学校の勉学姿勢に疑問を抱くのである。
 多くの学生に臨床を見学させても、その姿勢がその場に支障を来たすようなことが少なくない。あるいは無資格のスタッフを中心とした整体治療の業界からも、鍼灸師はプライドだけ高くて常識を知らず使いにくいと言う声が目立っている。今後も、専門学校から、大学、大学院と移行するにともなう医学知識偏重の、真の臨床から離れた鍼灸学生及び、鍼灸師が増加していくことを予想することができる。

日本鍼灸の将来を誰に期待していけばよいのだろうか?
 しかし、鍼灸の将来を展望する時、現在の鍼灸学生に大きな期待を寄せたいのである。今日、社会にあふれる多くの病人、半健康人が存在する現状を知らず、治ることへの国民の評価が得られないことをも無視して、逆に鍼灸需要の喚起をとなえたり、治すことの努力からの回避につながる保険採用に進むこの業界。将来、国民の要望に正しく応えうる業界への改善を期待できるのは現在の鍼灸学生しかいない。
 多くの鍼灸学生に、鍼灸師本来の使命を自覚してほしい。臨床技術の向上なくして真の鍼灸の発展はない。ひたすら高度臨床を目指す情熱ある鍼灸学生が増えることを願っている。現在、臨床に対する情熱を失い沈滞化が蔓延した鍼灸界の感を抱かざるを得ない。卒業生の大多数が臨床に着かない、着けない鍼灸師になっている現状を再考してほしいと思うのである。

6.鍼灸は何故東洋医学か? 
    国民は東洋医学が治らないと思っている

鍼灸は何故東洋医学か? 国民は東洋医学が治らないと思っている 
 鍼灸界で不思議に思うことがある。鍼灸界の指導的立場の方の発言の冒頭に、「鍼灸は東洋医学である」とその名称自体が偉大性を証明しているかのような言葉が多く聞かれることである。従って鍼灸は東洋医学であるから権威ある医学であると言い、鍼灸師、鍼灸学生を酔わせるようなコメントが続くのである。
 果たして鍼灸は東洋医学なのだろうか?それは我田引水ではないだろうか?単に病者の体に鍼をするといっても、様々な理論に基づく刺針がありうる。刺針行為がすべて東洋医学とはならないことは当然である。この発言からは、東洋医学理論に基づかない鍼治療は低級であるという独善とその名称を権威化しての便乗が感じられるのである。
 
 ここで振り返ってみたい。逆論である東洋医学は果たして偉大なのか?
我々鍼灸師はもう自問自答する時期が来てもよいのではないだろうか?近年、国民の鍼灸効果の認識とともに東洋医学自体が医学として色あせてきたと思うのである。
 一般の国民、医師たちはどのように東洋医学をとらえているのだろう。主にその鍼灸を中心に考えてみたい。まず医療現場の医師たちはどうか。東洋医学に関心がある医師は全体のほんの一部に過ぎない。湯液については、確かに病院医療でも近年大きく普及したことは周知のとおりである。しかし、日本全体の医療からしたら、これも簡素化したエキス剤の使用でじゅうぶん間に合っている。
 更に鍼灸ではそれ以下の関心しか持たれていないはずである。例えば入院患者を往診したとき、担当医は同じ医療者としての情報を鍼灸師に提供するだろうか?
 では一般の国民はどうか? 健康を損ねたとき鍼灸院に行く人は、全体から見たら極めて少ない。約1時間も治療時間がかかって、4,000円、5,000円の料金では健康で収入があるときでもなければやたらかかれず、多くの障害が楽にはなっても治りきるまでの長期にわたる通院には耐えられない。国民医療としての主役にはとてもなりきれていないのは中国の中医薬学院の大学病院でも似たところが見られ、その施設全部が中医学で使用されてはいないようである。
 
鍼灸のすべてが東洋医学とは言えない 
 鍼灸は東洋医学であるという決め付けは、なんの権威を主張するものでもないと考えている。なぜなら、治療効果を上げる鍼灸治療のために、我々、半身症候鍼灸法を実践する臨床家が東洋医学理論を排除する必要を説いているからである。自己の感覚による見えないものを見ようとせず、触れないものを触ろうとしないで古典理論に依存する臨床によって、どのような効果が期待できるのか?
 解剖学的組織、臓器の正常・異常を的確に判定する診断法を所有しない鍼灸理論の脆弱性を正視しているからそう言えるのである。古典鍼灸理論を否定する動きは、現在ほとんど消失してしまった。我々のように脱古典理論などと言うと目くじらを立て憎悪の眼差しを向けられるが、戦後の一時期、古典派と科学派との経絡の存在を真っ向から争う経絡論争があったのである。それは不完全燃焼のまま終焉を見た。そして現在では経絡否定論者は全く市民権を得られない肩身の狭い存在となっている。
 科学派にしても都合よく、古典理論を適度に導入して、鍼灸界全体がみな仲良しになってしまった。この状況が鍼灸の進歩と言えるのだろうか?業界全体がすべてにおいて競うことをやめたら、それは退行と思うのである。
 半身症候鍼灸法では、基本的に古典理論を排除し、更に病院医療理論を踏襲することも避けている。それは医学理論の下に行なわれている病院医療には、診断面で医学的にも多くの誤りが見られるからである。いま、「古典に還れ」の声が鍼灸界で聞かれるとき、我々は脱古典を標語にしている。
 我々は古代中医学史上に現れる扁鵲の医療を目標にしているのである。古書の記述に「ある仙薬を飲んで壁を通して人体内が見えるようになった。だが、人には脈を見てそれを知ったと話した」と言う。
 我々は、脈を診るなら、その本体である心臓の動きを触らず知ることで、手に触らず脈を診るということを目標としている。更にこの言葉からは、理論はその人のレベルにあった表現しか受け入れられないことが古代から変わっていないことも知るのである。
 我々は古典理論以前の扁鵲治療を目標として実践し、指導している。臓象学説より内臓、骨格系等の解剖学的組織を扁鵲的透視面から微細にとらえた鍼灸治療を進めているのである。 

7.鍼灸臨床現場シリーズ DVDより

半症鍼は従来の鍼灸法とは、大きく異なる。
 日本の現代鍼灸は発展していると言われているが。果たしてどうか?
 鍼灸業界は科学化とし、病院医療側がさほど前向きでないと思える病院医療との協力を重視し、鍼灸学校もその方向を推進している。その反面、他の整体院等激増の中、経営的問題は、業界の最大課題のまま依然改善されない。更に鍼灸師大量排出時代が到来した。
 この状況を我々半症鍼による鍼灸臨床家は異なるとらえ方をしている。
 腰痛等の鍼灸効果が医学的に評価された等には興味は薄い。それより実際に病院医療で難治な多くの障害、疾患を治すことが肝要であり、多くの国民の期待と悲痛な叫びでもあるととらえている。半症鍼の臨床の実践によれば、従来の鍼灸に比較して多疾患にわたった画期的効果を上げられ、経営問題が生じることはないだろう。
 多くの病院医療で無力な疾患を根こそぎ治すことで、病院医療が鍼灸に脅威を抱くような実力を持たねばならない。経営問題=鍼灸が治ることを国民から評価されていない現状を直視して、脅威を抱く病院医療側からの自衛の為の鍼灸の科学化、医学的根拠を研究する動きの方が適しているだろうし、この状況が、真の鍼灸の発展の姿であると考えている。
 戦後の一時期、鍼灸界は古典派と科学派での経絡論争が繰り広げられたが、不完全燃焼のまま終焉を見た。何故、曖昧にしてしまうのか。治療の基本は限りなく厳密な診断であるはずである。なぜ競わないのか。より高度のものを追求しないのだろうか?
 鍼灸師は、鍼灸学校入学後まず鍼灸古典理論を習う。その経絡の存在を指導者と共に誰も知覚できないまま刷り込まれてしまう。そのことの良し悪しを言うつもりはないが、半症鍼では全く先入観、既成観念を持たない白紙の生の状態で一度、人体、生体を観察し、臨床をしてみることをお勧めする。新鮮な感慨を味わうだろう。その鍼灸古典理論の弊害をも感じているのである。